みんなの未来を幸せにする!それが私の仕事。

健康ごはんアカデミーGreenCooking-ABE 阿部富美(あべふみ)です。

私は、はじめ家庭料理教室を開講しました。
その後、「薬膳」「栄養学」「食育」を含めた「健康になれる毎日のおかず」をレッスンする教室へと進化。
料理や健康に関する複数の協会の加盟校となり、資格取得講座も開講し、
2024年時点で100名以上の資格取得者を輩出しています。

2020年から、オンライン授業もスタートし、
「薬膳」「栄養学」「食育」「料理」の講座のほか、それらを総合的に学べる講座を開講しています。

アカデミー講座以外に、行政や企業から食と健康に関する様々なセミナー講師・講演会講師を
対面・オンライン共に拝命し、また料理メニュー考案や執筆活動、取材のご依頼もいただいています。

受講生は、一般の方だけにとどまらず、
学校教員向けの食育授業や、健康に関するプロの方向けの薬膳講座、
栄養士さん向けの料理研修会などもさせていただいています。

そして、現在ではオンラインを主流に、食と健康に関する講座を各所で開講。
健康食の要望に合わせた多角的な講座、食事指導、資格取得講座などを主流に、料理教室も開講しています。

今ではこのようなお仕事をさせていただけるようになりましたが

社会人デビューしたのは、栄養士免許を取得後
料理学校のアシスタントとして就職したことに始まります。

なんと!
バブリーな時代でしたので、会社帰りのOLさんだけで一度に100人もの生徒さんが調理実習する、
という戦争のようなレッスンを毎日開講していたんですよ。

OLさんは会社帰りにクッキングスクールへ。それがトレンドという時代に働き始めました。

そこで、たくさんの講師の先生との出会いがありました。
どの先生も、家庭と両立させながら出張講師として私が勤める料理学校など複数の講座を受け持っていらっしゃいました。
まだ20代前半だった私は、
先生のように家庭と仕事を両立できるキラキラ女性になりたい!
自分の特技を生かしたキラキラな仕事をしたい!
夢と希望に満ち溢れ、日々の仕事に邁進していました。

その夢が打ち砕かれたのがバブル崩壊。
料理教室はどんどん縮小され、スタッフは職を失いました。

そんな時に父が心筋梗塞で他界します。
それから7年後に母が癌で他界しました。

日々の生活のために途方に暮れている暇はありません。
「私は栄養士。料理教室で働いた経験がある。」そう思っていました。
でも、
「だから? そんな人、他にも大勢いる。」それが社会の答え。

若かった私は、当たり前にある壁にぶつかり、
こんな理不尽な思いをするのは社会のせい!と思いました。

その時に未来への扉を開けてくれたのが、
一緒に働いていて一緒に解雇になった、講師の先生でした。

「自分が生きていくための武器を持っていれば、どんな時でも生きていける。」
そう教えていただいたのです。

社会のせいじゃない。自分が生きるための武器を持っていないから。そう考え改め、
まだまだ修行が足りない!勉強不足で講師なんて無理!そう思い、
先生に頼み込んで無償でアシスタントをさせていただきました。

先生から、あなたも講師をしなさい!
と言っていただけたのは、30歳の時でした。
「私が講師デビューしたのは31歳。あなたは私より1年も早い。先があるってことよ。」
そう言って背中を押してもらいました。

はじめは、生徒2人。しかも友人。狭い自宅キッチンでも狭く感じないほど。
そんなスタートでしたが、
少しずつ生徒も増え、継続してレッスンをできるようになっていきました。

私は、
早くに両親を亡くしたことから、自分も同じ病気になりやすい体質だと思い込んでいました。
ところが健康診断の医師から、生活習慣病は遺伝ではありませんよ。と言われ、
目から鱗が落ちました。
そういえば、
両親とも血圧も中性脂肪も高かったのですが、私はやや低血圧、中性脂肪は正常です。
数字では両親と違うのに、同じ病気になりやすいと勝手に思い込んでいたのです。

生活習慣で、病気の発症しやすさが変わる。
それは栄養学でも学んだはずでした。
生活習慣の中で一番、要となるのが食習慣ということを改めて実感したのです。

そこで、料理教室はレシピを教えるだけじゃダメ。
健康的な食生活ができるレシピを教えて
生徒さんに健康になってもらいたい。と考えるようになっていきました。

そして、そんな時に「食育」や「薬膳」が注目を浴びる時代になってきたのです。

食育の資格を生徒に授与できる認定制度があることを調べ、
その協会に加盟したり、認定講師になるための勉強もして、その資格も取得しました。

そんな時に突然、重度の花粉症を発症。
あまりの辛さに、これから先の人生、お先真っ暗!そう感じました。

こんな健康食生活をしている人は花粉症にならない。という資料がありましたが、
その健康食生活を私は30年以上続けていたのです。
なのに、発症。
なぜ?なぜ? 悩みました。

調べていて出会ったのが薬膳でした。
この辛さから逃れたい!自分で治したい!そんな思いから、薬膳の学校に入学しました。
学ぶうち、アレルギーが改善したという同期、複数人との出会いもあり、もれなく私も改善していきました。

この経験を自分だけでなく、人々に伝えたい!そんな思いから仕事に取り入れました。

栄養学と食育、そして薬膳。 この3本柱が私の主軸となりました。

レッスン内容も変化し、
健康食生活と健康レシピを学び、資格取得もできる教室へと進化していきました。

すると、行政や企業からも講師のお仕事をいただけるようになり、
自宅キッチンから駅前のキッチンスタジオを構えるまでになりました。

生徒も益々増え、キッチンスタジオならではの講座も新規開講したりと
順調に進んでいたところに、次の大波がやってきました。

そうです。
感染症対策による営業自粛でした。
不安と恐怖と身動きが取れないもどかしさに、溜息しか出ないイライラが募っていきました。

キッチンスタジオを運営するために、長期間の自粛などいつまでもしていられるものではありません。

加盟協会の同業の先生方と、近況報告をしていた時、
どの先生も、もがき苦しみながら頑張っていらっしゃり、お互い勇気とアイデアを共有しました。

私は通学講座は休講せざるを得ませんでしたので、オンライン講座を新規開講しました。

社会では、新しい学びの形が浸透し始めていました。
それを感じた時、これは後退ではない、新時代の到来だと感じました。

試行錯誤でオンラインならではの良さを活かした講座を作り上げました。

遠方にいても、健康食生活を学び、資格取得もできる。
通学しなくてもそれが可能となった。そんな未来がやってきたのです。

挫折なんてしていられない。思いっきりジャンプアップで前進!
そんなことの繰り返しです。

あれから〇〇年!(漫談風?)
令和になり時代は変わりました。

でも、「食を教える」という仕事は、形は変化しても
私の思いは変わることなく続いています。

オンライン講座で全国に受講生が増え、
料理教室は、キッチンスタジオを手放しレンタルキッチンを利用して各所に出向いてレッスンを行っています。

健康が手に入れば、未来は明るく有意義な時間となります。
一度きりの人生を、おいしい食事をしながら思いっきり楽しく生きてほしい。
生徒さんの未来がそうなってほしい。

個人の幸せは、家族の幸せに繋がり、
家族の幸せは社会の幸せに繋がります。
そして、地球全体がごきげんに、幸せに!

食事を楽しみながら、未来を豊かに変えていく。
一人でも多くの人に食を通じて健康に幸せになってほしい。

そんな仕事をする!という思いは、
これからも続いてゆきます。